written by めぐ










◆第8話◆


そのころ真澄は、マヤの主治医の部屋で、今後の治療方針について話をしていた。


「北島さんは、こちらへ来て彼是3ヶ月にもなりますが、残念ながら、現状に何の変化も現れてはおりません」

「良くなってもいないし、悪くもなっていない、ということですか。それが、彼女にとってようやく得られた平安なのかもしれない、ということでしょうか」

「いえ。生きるのを放棄しているというのは、結局『逃げ』でしかありません。このまま静かに暮らし続けるよりは、我々は何らかの刺激を与えて、彼女が自らに立ち向かうよう手助けをすべきでしょう」

「でも、それで、また彼女が挫けるようなことがあれば…」

「現状より、そうそう悪くなることもないと思います。怒りであれ、悲しみであれ、彼女から何らかの感情を導き出さなければ、このままでは生ける屍とさして変わらないですから」

「…生ける屍、ですか…」


暫し沈黙する真澄と医師。



そこへ、遠慮がちなノックが響いた。

「はい?」

「…北島さんの介添の柴田です。少々先生にお伝えしたいことがありまして」

「どうぞ」



医師の応えを得て、由布子が扉を開けると、そこには難しげに顔をつき合わせている医師と速水真澄の姿があった。

「あ、速水さん。先ほどは…」

「ああ、失礼した。まさかマヤが散歩に出ているとは露ほども思わず…」

「いえ。実はその件で、先生と速水さんにご報告したいことが」

「何でしょうか?」

事情を知らぬ医師が尋ねるままに、由布子は話し出した。

「先ほど、マヤさんを車椅子に乗せて、中庭を散歩していましたら、偶然速水さんとお会いしたんです。マヤさんはいつも通りどこも見ていなかったと思うのですが、速水さんが立ち去った後で、右顔面に微かな痙攣が出ました。その後、いつものうつろな瞳ではなく、本当に僅かな変化なんですが、微かな光が点ったような。んー。何と説明したらいいのか…」


真澄は途端に動揺する。

「まさか、そんな事が…」

「私は毎日マヤさんのお傍に居りますので、ほんの些細な変化ですが、間違いないと思います。……きっと速水さんの気配を敏感に感じ取ったのではないでしょうか」


暫く熟慮していた医師が、徐に口を開く。

「…良くも悪くも、速水さんは北島さんに変化を及ぼすことが出来そうですね。一度ちゃんと対面なされてはどうでしょうか」

「私も、マヤさんの為にも是非そうして欲しいと思います」

「だが、しかし……少し考える時間を頂けないでしょうか……ここだけの話ですが、彼女と私の間には、本当にいろんな確執がありすぎて、私が彼女の前に現れれば、きっとまた追い討ちをかけてしまうだけになるような気がするんです」

この病状は、寄る辺のない彼女が、今回の試演延期で更に拠り所が無くなったためだろうと推測する。
だが、あまつさえ、自分が彼女を追い詰めてしまったかもしれないのだ。
真澄には、精神の均衡を崩しているマヤと直接対面するだけの覚悟が、どうしてもできない。

ひどく思いつめたような真澄の表情に、医師が再度、口を開く。


「だとしても。北島さんの心に何らかの波紋を投げかけなければ、決して事態は好転しないでしょう。良く考えてください」












酷く混乱したまま、医師の部屋を後にする真澄。
由布子はそんな真澄の様子に、何か声をかけずにはいられなくなった。

「速水さん。マヤさんは……きっと良くおなりです。是非、ちゃんと会ってあげて下さい」

「マヤのことを、よろしく頼みます。何か変化があれば、どんな些細なことでもこちらに連絡をください」

と、取り出した万年筆で名刺の裏に携帯電話の番号を走り書きし、手渡す。

「確かに」

由布子は名刺を両手で受け取り、暫く見つめた後、エプロンの胸ポケットにそっと納めた。








07.08.2006


…to be continued









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