written by めぐ










◆第7話◆


――――関東の郊外にある、緑深い山の中腹にある病院の特別室にて。


マヤはベッドに横たわっている。
相変わらず、その眼には何も映さず、その口は何も発しない。
やせ細った体は、食事も満足に受け付けず、点滴でやっと生きながらえている。

格子のついた窓は開け放たれ、時折カーテンを孕ませてそよ風が入ってくる。

真澄は、マヤの為に口の堅い付添婦を一人宛がっていた。
転院の際、青木麗が付き添いを申し出たものの、実際問題彼女も仕事をしながらの看病は無理だったからだ。

柴田由布子は、人形のようなマヤに、時々語りかける。

「マヤさん。今日は良いお天気ですね。木漏れ日も眩しいくらい。風もさらさらと気持ちよいですね」

返事を期待してではない。
声かけは、治療の一環ではあるものの、由布子は、既にマヤが自分の娘のように可愛く、そして可哀想で仕方が無かった。
もう、自然と声をかけてしまうのだ。

「たまには、お散歩してみましょうか」


看護師の手を借りて、マヤを車椅子へと移動させる。

広い病院の中庭を、ゆっくりと車椅子を押しながら進む。
他には、誰もいない。

見舞い客などなかなか来ないこの山奥の病院だからこそ、マヤが北島マヤであることを周りに知られず、のんびり散歩もさせられる。

由布子は、マヤの入院先にこの病院を選択した速水氏に、確かに先見の明があった、と思う。

会話は成立しなくても、由布子はマヤに、天気、季節の草花など、自然にまつわる話題を折々に話しかけていた。
その反面、演劇などマヤの心の傷に触れる可能性のありそうな話、そして特に雇い主である速水氏に関る話に至っては、全くしなかった。
付添を依頼されたときに、何故か自分の名を彼女に知らせないようにと堅く約束させられたから。

何やら因縁があるのか……でも詮索はしなかったし、出来なかった。

そう。出来ないほどに、速水氏の目が切なげだった。
彼は巧みに隠してはいたけれど、長らく付添婦などという仕事を生業としていると、心の奥がそれとなく見えてきてしまうのだ。



「本当に、よいお天気」

マヤの長い黒髪が、爽やかな風にそよと揺れる。


由布子がマヤの顔にかかった髪を払ってやろうと横に屈み込んだとき、ふと、横に人影を認めた。

マヤさんを他人の目に晒しては、いけない。
とっさに立ち上がって、何気ない素振りで車椅子を押そうとして。

……あ、あれは…。



それは、速水真澄だった。

由布子が驚くと同時に、真澄も驚いた様子で、しばらく双方が立ち竦んだまま見つめ合った。

やがて。

真澄が静かに病棟の暗がりへ歩み去った。


ほっと息をつき、一旦マヤの様子を伺った由布子は、マヤの右顔面が微かに痙攣しているのを目の当たりにする。
その瞳に、微かながら光の揺らぎが感じられる。

マヤの些些たる変化に、彼女に内心の動揺を知られないよう、ゆっくりと車椅子を押しながら、言う。

「さ。そろそろ戻りましょうか。マヤさん」












二度と直接会うことは叶わないと思っていた。

マヤが逃避した原因の一端は、少なからず自分にあると自覚していた。
それが彼女の為だとは言え、結局のところギリギリまで追い詰めてしまったことは、最早弁解のしようがない。
きっと、自分の居ないところでなければ、マヤは安寧を見出せないだろう。

紫の薔薇の繋がりすら失ってしまった自分は、更なる幻のその陰から、二度とマヤに気づかれることなく匿名の援助を続けるしかないと考えた。

それでも、尚もマヤを求めてしまう己の性。


思いがけず、車椅子に乗せられたマヤを見て、真澄は心臓が大きく跳ね上がった。

人形のようにただ座っている。
目は焦点を結んでいない。
そよぐ風に髪を揺らし、ただそこにいる。
それだけでも、無性にいとおしい。

あのいとけない姿を見て、よく傍へ駆け寄らずに自制出来たものだと、我ながら忍耐強さに感心さえする。


……そうだ、俺は最早マヤにあわせる顔もないのだ。










何故、マヤさんに変化があったのか。

どう考えても、彼女が、速水氏の気配を察したからだとしか思えない。
きっとこの二人には、常人には計り知れない何かの縁があるのだろう。

だとすれば。

マヤさんを立ち直らせることが出来るのは、医師でも薬でも、勿論私でもなく、唯一速水氏だけのはず。


そこまで考えた由布子は、何気なさを装って

「洗濯物がそろそろ乾く頃ですね」

とだけ言い、マヤを残して病室を出た。










07.05.2006


…to be continued









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