![]() |
| written by めぐ
|
|
◆第10話◆ 真澄が件の病院に到着したのは、昼過ぎだった。 まず、医師の部屋に赴き、今からマヤと対面する旨を伝える。 良く悪くも、マヤに変化があったときに、すぐ駆けつけてもらえるように算段をつけた。 それから、紫の薔薇の花束を後ろ手に隠し、そっと病室を伺う。 由布子が、真澄に気づき、廊下まで出てきた。 「速水さん。来て下さったんですね。マヤさんは今、お昼寝をされています。どうぞ目覚めたときに傍に居てあげて下さい」 「君も…」 「いえ。私はそちらの待合室にしばらく居ります。御用があればお呼び下さい」 と言い置くと、殆ど足音も立てずに廊下の先へと消えた。 ![]() 真澄は、ベッドの脇の椅子に腰掛け、紫の薔薇の花束を空いて居る椅子にそっと置き、そこから一本だけ慎重に花を抜き取り、両の手で持った。 そのままベッドの縁に肘をかけ、頭を垂れる。 祈るように、彼の天女の目覚めを待つ。 梅雨の為、閉ざされた窓。 漏れ聞こえる微かな雨音が、尚一層の静寂をもたらす。 規則正しく上下するマヤの胸に、彼女が生きていると実感する。 ああ、マヤがいなければ、俺の心はきっと死んでしまう。 ―――では、マヤは、一体何を無くしてしまったというのだ?! ![]() それから20分もたった頃だろうか、マヤの目蓋がピクッと動いた。 真澄は、固唾を呑んで、マヤの目覚めを見守る。 緩やかにマヤが目覚めたとき、決して今まで焦点をあわせなかった目が、ふと目前の紫の薔薇の花一輪を捕らえた。 目の色が、ゆるゆると変わる。 呆けていた焦点が定まるにつれ、マヤの瞳から涙が溢れる。 …やがて、微かな嗚咽を伴って泣き始めた。 「マヤ…」 苦しげな真澄の声に、マヤが反応した。 「むらさき…の…ばら…」 それは、彼是約5ヶ月振りにマヤが発したか細い声だった。 真澄は、もうなりふり構っていられなかった。 シーツから出していたマヤの右手を徐に取り、薔薇の花を握らせ、その手を包み込むように性急に握りしめ、マヤの顔を覗き込んだ。 「…あ……速水さん……演技が出来なくなった私に………まだ紫の薔薇をくれるの?………これは、夢?…」 真澄は、正直唖然とした。 「マヤ、君は………まさか、知っていたのか? 俺が紫の薔薇の人だと…」 「もう演技が出来ないのに……それでも紫の薔薇をくれるの?…」 マヤは、真澄の声には反応せずに、虚ろにただ同じ言葉を繰り返す。 「演技が出来ても、出来なくても、マヤはマヤだ。君の為に紫の薔薇はあるんだ。紫の薔薇が欲しければ、俺がいつでも贈ってやる!」 マヤに二度と紫の薔薇は贈らないという紫織との約束は、マヤの痛々しい問いの前に脆くも反故にされた。 が、これでいいのだと、真澄は自答する。 所詮、偽りの中で生き続けることなど、不可能なのだ。 「私、もう演技が出来なくなっちゃったのに……………」 透明な涙を流しながら、うわ言のように繰り返し呟くマヤ。 堪らず、片手で自分の脇の椅子に置いていた残りの花束を、マヤに差し出す。 「さあ、受け取ってくれ、マヤ」 懐かしい香りに誘われるように、ふらふらと自力で何とか起き上がったマヤは、震える両の手を差し出した。 ああ、何ていとおしい! 花束をマヤの腕の中に預けると、思わず、そのか細い体をそっと抱き寄せた。 二人の間に挟まれた薔薇が少々押され、香りが一層際立つ。 マヤも薔薇も、何とも華奢で、少しでも力を込めたら折れてしまいそうだ。 マヤの嗚咽は一向に収まらない。 その嗚咽に混じって、微かな声が聞こえた。 「ゴメンナサイ………………ゴメンナサイ………もう演技できないの………速水さんの……紫の……期待を裏切ってしまって、ゴメンナサイ………もう、阿古夜になれない………ゴメン……ナサイ………………」 やがて、泣きつかれた子供のように、薔薇を抱え、真澄に縋ったまま再び眠りに堕ちたマヤを、暫くして様子を伺いに来た由布子が見つけた。 他人にそんな姿を見られた真澄は、顔を赤らめながら、若干言い訳がましく言った。 「気を利かせてくれて、ありがとう。マヤは、まるで赤ちゃんがえりでもしたようだったよ。相変わらずちびちゃんだ……さて、これで何とか快方に向かうといいのだが」 由布子は、マヤをベッドに横たえなおしながら、微笑んだ。 「ええ。これで、きっと」 07.11.2006 ![]() |
| next / index / present top/ home |