written by めぐ









◆第1話◆



ふと目を覚ますと、ほつれかけたカーテンから、ほの暗い曖昧な光を感じた。

……あ…少しは眠れたんだ…。

マヤは、布団の中でまんじりともせず、暫く物思う。



麗と暮らすこの古く小さなアパートの一室は、日当たりだけは良好だ。
この光の感じは、時計を見るまでも無くきっと明け方の5時頃だろう。
二人で暮らすには狭いアパートだが、今のマヤにはそれでも広さをもてあまし気味だ。
地方公演でしばらく留守にしている麗は、久しく連絡を寄越さない。
きっと、忙しいのだろう。


独り取り残された感の募るマヤは、それでもいつも通りの一日を過ごそうと、おもむろに起き上がった。
途端に、違和感。
顔が、目蓋が、ぴくぴくする。
右目を右手で押さえ、しばらくやり過ごす。

うん、大丈夫。


寝巻きにしている着古したスエットから、外出に耐えうるトレーニング用のスエットに着替え、ポケットに財布を突っ込んでジョギングに出かけた。


いつもより遅く家を出たのに、吐く息が真っ白になる。
今日は、寒いな。
それでも、ジョギングコースの半分もこなすと、息も上がり、体も温まってくる。
とにかく。何も考えない。
考えなければいけないことは、山ほどある。
けれど。


コースも終盤に差し掛かり、途中のコンビニで朝食用のパンでも買おうと立ち寄る。
が、今日は、何だか食欲もわかない。
それに、財布の中身とも相談をしなければ。
都合、紙パック入りの野菜ジュースを1本だけ購入する。

再び、走りながらアパートへ戻り、肩に掛けたタオルで汗を拭うと、先ほどのジュースにストローを差込み、一気に飲み干す。


潤沢な蓄えがあるわけではない。

考えなければならないことは、本当に山のようにある。












今や、人生の目標でもある紅天女の試演が、無期延期となったのは、つい先週のこと。
姫川亜弓の失明が、世間に明らかになったからだ。


亜弓は『それでも試演をやれる』と主張したらしい。
けれど、月影先生、及び演劇協会の判断で延期となったと聞いた。


演劇協会の会見後、月影先生はマヤと亜弓を病室に呼び、言った。

「より良いものを創り出すために、妥協はしません。マヤも、亜弓さんも、これ以上無いという紅天女の世界を創造なさい」


月影先生の言葉を受け、亜弓は目の治療に専念すべく、渡米した。
きっと、数ヶ月後には完治してみせるから、そのとき全力で勝負しましょう、と言い置いて。



先生の仰ることは尤もだ、とマヤは思う。

亜弓さんが万全の体調で試演に臨めば、きっと素晴らしいものが出来るはず。


それに引き換え、私は…。

未だ掴めずにいる阿古夜の心。
現実世界のあの人への想いに囚われてしまって、その純粋な想いに到達できない自分。

あの人にとって、私は女優でしかなく。
その、女優としてだけでも、とうとう見てもらえなくなってしまって。
紫の薔薇の繋がりも、既に無くなってしまった。


阿古夜の愛は、無償の愛、だと思う。
頭では解っている。
ただ、心が追いつかないだけ。










速水真澄は、内心焦っていた。

所属女優である姫川亜弓の失明騒動は勿論のこと、紅天女の試演が延期になったことで生じるあらゆるリスクに対応しなければならない。
月影千草の体調も気掛かりである。

でも、何より。

この顛末でマヤがどうなってしまうのかが、一番の懸案事項だった。

大都芸能のトップとして、この一番の懸案事項に割く時間は全く無かった。
頼みの紫の薔薇の繋がりも、先日、心ならずも踏みにじり、自らの手で封印してしまった。
聖には、種々の調査業務の合間に引き続きマヤの動向を探らせてはいるが、それを把握したところで、最早何も行動を起こせなくなってしまった。


「そうか…ちゃんと朝のジョギングをしているなら、別段問題は無いな。試演が無期延期とあっては、もう稽古のスケジュールも白紙になったんだろう。その他の動きは…」

「いえ。どこにもお出かけになる様子は無く、訪ねて来る人も無く。青木さんは長らく地方公演とのことで、お一人でいらっしゃるようですが」

「わかった。引き続き、頼む」


マヤ……結局俺は、何もしてやれないのだな…。










06.28.2006


…to be continued









next / index / present top/ home