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| written by さんてる
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真澄は手にしていた未決書類から目を上げると、壁に掛けられたデジタル時計をチラリと見た。 「もう、こんな時間か…」 十一時十分。 この時計は電波時計だから、時間はすこぶる正確なはずだ。だが、もしかすると自分の見間違いかも知れない… そんな淡い期待と共に一度深く目を瞑り、改めて時計を見る。やはり、時間は変わらない。無情にも同じ数字が整然と並んでいる。 真澄がマヤを訪ねると約束した時間は、とうに過ぎていた―― ビルの高層階にある社長室の大きな窓の外は、もうすっかり闇夜に覆われていた。長々と続いた会議から戻り、この席に着いたときはまだ夕暮れ時だったから、かれこれ五時間近くも書類の山と格闘していたことになる。 最後に水城がコーヒーを持ってきたのは、いつだったろうか? 申し訳なさそうにカップの底に僅かに残る、焦茶色の液体で唇を湿らせながら考えを巡らす。 一息入れようとネクタイを緩め、大きく伸びをする。それから煙草を吸おうと、応接ソファに無造作に投げ捨ててあった上着の胸ポケットを探った。 銀色のシガレットケースから一本取りだし、軽く口にくわえて火を点ける。肺の奥まで深く吸い込むと、ニコチンが苛立った神経をホンの少しだけ和らげてくれた。 ドサリ、とソファに崩れるように座り込む。くわえ煙草のまま頭をソファの背にもたせ掛け、きつく目を閉じた。片付けなければならない仕事はまだ残っている。毎日、人一倍働いているはずなのに少しも楽にはならない。 元来、真澄は人に任せるのが嫌いなのだ。どのように些細な案件でも、最終的には自分の目で確かめないと気が済まない。それが、今現在の忙しさを招いているのも十分承知の上だ。 人は、ワンマンだという。 スケジュールは分刻み、秒刻みで組まれている方が良い。そのきっちりと組まれた予定を次々と消化していくことに悦びを感じていた。 そう、確かに以前はそれが心地よかった。 この時間、ビルの外から見たら、煌々と灯りがついているのは、この社長室だけだろう。朝から晩まで息つく暇もなく、常にフル回転で働き続ける。水城からは完全なる"仕事中毒"だと言われている。 仕事中毒――Workaholic…病的とも言えるくらい、以前の真澄は会社漬けになっていた。大きな仕事を次々と片付け、山積みの難問を上手く乗り切り、一人社長室に戻ってくる。 それは、一種の快感だった。 目を開け、煙と一緒に大きな溜め息を吐く。眩しいくらいの蛍光灯の白い明かりが目を射した。思えば今日は朝からツイていなかった。 今朝はいつもより道が混んでいて、真澄の車も渋滞に巻き込まれてしまった。前後左右を同じような車に囲まれていて、ぴくりとも動かない。彼は苛立たしげな溜め息を吐くと、左腕を目の前にかざし、時間を確認した。 この十分間で、時計を見るのはこれで十回目だ。運転手がミラー越しに申し訳なさそうな顔をしている。真澄は手元の銀色の腕時計から目を上げると、大きく唇を歪めた。彼に八つ当たりをしたところでどうにかなる訳ではないが、今は何もかもが苛立たしい。 仕事に遅れるのは嫌いだった。時間に正確に行動する。これが真澄の信条だ。特に今日は月に一度行われる理事会がある。 時間を確認したからといって、車の流れがスムーズになる訳ではない。それどころか時計の針の進み具合と、車の進み具合は益々反比例していくように思える。 思わず握り締めた拳の関節で窓をコツコツと叩いていた。その音がまた、シンとした車内に殊の外響いて、イライラに拍車を掛けることになるのだが。 嫌な予感はあったのだ。まず、朝の目覚めが悪かった。 実に嫌な夢を見たのだ。以前良く見たような夢だった。マヤが誰か他の男のものになるのを、自分はただ黙って見ているだけという、悪夢。現実は逆夢の如く、真澄はマヤを手に入れていた。 自分の想いを真摯に彼女に伝え、彼女の愛を確かめ、目の前に立ちはだかる大きな壁を打ち破ろうと、今まで以上に精力的に働いている。 それが、彼の「仕事中毒」に拍車を掛けていたのである。 それから、朝食の席で英介に言われた一言。 「今日の理事会は荒れるな」 それ以上、義父は何も言わずに黙々と食事を続けていたが、その沈黙が真澄にとってはやけに重苦しく感じられた。いっそのこと、「お前はいったい何を考えているんだ」とか、「お前は自分の立場を分かっているのか」と怒鳴られた方が良かったくらいだ。 鷹宮との縁談を破棄したこともあって、先日から英介との関係はさらに緊迫感を漂わせていた。ところが、英介はここぞとばかりに働く真澄に何を言うでもなかった。だから今朝の一言が重くのし掛かってきたのだ。 確かに荒れるだろう。それは分かっている。そのためにマヤに会う時間も、眠る時間も減らしてまで働き続けているのだ。 案の定、金曜日で、ごとうびで、月末で、年度末という、道路事情にとって最悪の要素を詰め込んだような青山通りは、信号が変わる度に僅かにノロノロと進むのみだった。 いい加減、車を諦めて地下鉄にでも乗ろうか、と思うと急にスイスイと進み出す。仕方が無い、と乗り出していた身をやわらかな皮のシートに沈めると、またピタリと動きを止めてしまう。 …その繰り返しだ。 この一連の動きを散々繰り返した挙げ句、真澄は今朝の理事会にギリギリ間に合った。本当に滑り込んだと言っても良いくらいだ。水城から既に他の理事たちは会議室に集まっているとの連絡を受けていたので、彼は社長室には立ち寄らず、エントランスからそのまま会議室に直行した。 会議室の大きな扉を開けると、円形のマホガニーで出来たテーブルの周りに、それぞれ腹の底に一物を持った古狸たちの顔が並んでいた。月に一度、月末に行われる大都グループの理事会に出席するのは、それぞれグループ会社の取締役たちだ。 この理事の中には速水家の親戚筋、つまり英介の義理の兄弟やその子弟たちが多くの席を占めていた。真澄や英介に隙あらば、直ぐにでもその足下を掬わんとばかりに虎視眈々と狙いを定めている輩どもだ。 英介の教育の賜物か、真澄は今までそういった連中を上手くあしらってきた。彼らに付け入る隙を与えないほどの「仕事中毒」だったからだ。 ところが、今の真澄は違っていた。 実のところ彼は、「仕事中毒」という大看板を取り下げようとしていた。何のために? もちろん、マヤのためだ。彼が「仕事中毒」だったのには、大きく分けて二つの理由があった。 ひとつは、子どもの頃から骨の髄まで英介に叩き込まれたビジネスの理に沿ってのこと。 もうひとつは、「仕事」と「復讐」以外に自分の歩むべき道は無いのだと、自分自身を追い込んでいたためだ。 だが、そんな彼にそういったもの以外にも、自分の情熱や人生を賭けるべき大切なものがあるのだということを教えてくれた人物がいた。 それが、北島マヤ。真澄より十一歳も年下の演劇に人生を賭ける少女だった。 彼女の「演劇」に掛ける情熱は並々ならぬものがある。殆ど取り憑かれていると言ってもいい。どうしてそこまで…というくらい心身ともに没頭してしまう。損得などは関係ない。彼女は何の苦もなく、自分自身をその物語の中に溶け込ませてしまうのだ。 舞台の上に存在するのは北島マヤではなく、その役の登場人物だ。羨ましいほどに自分を忘れられる。何色にでも染まることが出来る、その無色透明さ。 しかし、よく考えてみると、マヤにとっての「演劇」は人生そのものであり、仕事でもある。そう考えると、彼女も立派な「仕事中毒」だ。 会議室の中に一歩足を踏み入れ、一つだけポツンと空いている自分の席へゆっくりと向かう。今までのイライラなど無かったように。 この空間は静かな戦場だ。弱みを少しでも見せたら、ピラニアやハイエナのように一斉に飛び掛られてしまうだろう。 真澄は席に着く前に深く息を吸い、目を閉じ、マヤのことを思った。ここで負けるわけにはいかない。この古狸どもに負けるわけには―― 理事会は鷹宮との破談の話から始まり、提携事業、グループ相互の利益、はたまた真澄の進退にまで及び、延々と続いた。 煙草の白い煙とコーヒーの匂い、自己の利益を少しでも増やそうと策略を巡らす思惑、そんなものが充満する会議室を出たのは既に陽が傾き始めている頃だった。 社長室の自分の席に戻ると、真澄はようやく張り詰めていた神経を解きほぐした。さすがに仕事の鬼と恐れられた彼でも、今日ほど神経を削った会議は今までに経験したことは無かった。 勝つ自信はあった。 マヤを手に入れられないという恐れや、一生を孤独な魂のまま彷徨うことに比べたら、このくらいのことは何でもない。三十年余りを生きてきて初めて、魂のやすらげる場所を見つけたのだから。 だがしかし、皮肉なことに真澄が「仕事中毒」でなくなろうとすればするほど、仕事漬けになっていくようだった。 十一時二十分。 彼女は寝ずに待っているのだろうか? それとも待ちくたびれて怒っている? 電話を掛けるべきか? 遅れてすまないと、謝るべきだろうか? そこまで思い至って、ようやく真澄はポケットの中を探り、携帯を取り出した。が、しかし、いくらコールしても彼女は出ない。 急に彼の全身が不安にザワザワと騒ぎ出した。ジャケットを握り締め、社長室を飛び出す。 深夜の青山通りは、朝の渋滞はどこに消えたのかというくらい順調に進んだ。この車の流れならば、大都芸能からマヤのマンションまではタクシーで十分と掛からない。 真澄は再び携帯を取り出し、彼女の番号をコールした。同じようにコール音が続く。彼は拳を握りコツコツと窓ガラスを叩いた。それからタクシーの狭い後部座先のシートに寄りかかり、浅く溜め息を吐くと、窓の外で流線を描くネオンの明かりに目をやった。 この乾いた都会で運命に導かれるように出会った二人。巡り逢い、惹かれ合い、求め合い、ようやく結ばれた魂。もう二度と放さない。離れない。どんなことがあっても―― タクシーが目的地に到着し、真澄はアスファルトに降り立った。外見が人間を判断する重要な決め手になるというなら、仕立ての良いスーツに身を包んだ速水真澄は、きびきびとして礼儀正しく、自分をコントロールする術を心得た有能なビジネスマンだと言える。事実、その通りだった。 その彼が、自分をコントロール出来なくなる、唯一の存在。マヤの姿を少しでも早く見たくて、彼女の存在を確かめたくて、真澄はマヤの部屋へ急いだ。 白熱灯のやわらかい灯りが彼を出迎えたが、部屋の主の姿は見えない。ドアが細く開いたリビングからは、テレビの音声が途切れ途切れに聞こえてくる。 「マヤ?」 真澄はリビングに足を踏み入れ、部屋の中を見回した。マヤはテレビの前に据えられた小さな一人掛けのソファの上で、眠っていた。 胸がキュンとなり、心臓が今までより早いリズムで打ち始めた。彼はジャケットを脱いで近くの椅子の背に掛けると、マヤに近づいた。 ソファの前に回り、真澄はしばらく彼女を見つめた。痛ましいほど頼りなげな寝姿だった。片手を膝の上にのせ、俯き加減の顔を艶やかな黒髪が隠している。 マヤの傍にしゃがんだ真澄は、彼女の髪を掻き上げ、肩にそっと触れた。そのとき、頬に残る涙の跡に気が付いた。 真澄はテレビのスイッチを切り、マヤを起こそうか、それとももっと寝心地良くソファに横たわらせてやるべきかと考えた。だが、自分が泣かせたのだと思うと、彼の胸は痛んだ。 眠りの中でも彼の存在を感じ取ったのか、マヤは長い睫毛を小さく震わせ、唇を開いた。 「………速水さん…スキ」 突然、真澄の心臓が駆け足を始めた。 「マヤ」 瞼がゆっくりと上がり、眠そうだが美しい瞳が現れた。彼女は真澄にニッコリと微笑んだ。細くて白い指が彼の頬に触れる。その指は彼の眉をなぞり、微かに微笑んだ唇まで滑った。その指を掴んだ彼は、マヤの手のひらにキスをした。 彼女の目は温かみに溢れ、彼の瞳には輝きが戻ってきた。二人は実際には殆ど触れ合わなくても、愛を交わすことが出来た。そのことが、二人の関係を特別なものにしていた。 「速水さん?」 「ああ、すまない。遅くなって」 黙ったままの真澄を不安げに見上げたマヤに、彼は幾分厳しい面持ちで謝った。 「ううん。気にしないで。速水さんだって忙しいのは分かってるから。ちゃんと来てくれただけで嬉しいもの」 真澄は彼女の目を真っ直ぐに覗き込んで、表情を緩めた。 「おれは約束を守る男だからな。――と、言っても最近は謝ってばかりのような気もするが…」 「ぷっ。なんだか速水さんらしくない」 彼女の、この笑顔。 一日の終わりにこの微笑を見ることが出来るなら、彼女を手に入れるためならば、どんなに困難なことでも乗り越えられる。例え人に「仕事中毒」と呼ばれようとも。 04.15.2006 ![]() □さんてるさんより□ ESCAPE休止中にガラパロにハマり、様々なガラパロサイト巡りをしました。杏子さんのお話には切なくなったり、ウフフとさせられたり、たくさんたくさん楽しませて頂きました。信じられないことに、今では自分でもサイトを持ち、ポツポツと妄想を排出しておりマス。 この度この賑やかなお祭りに、本当にギリギリ滑り込みセーフで駆け込みました。相変わらず拙いハナシで恐縮ですが、「枯れ木も山の賑い」と申します。どうぞお納めください。 Workaholic…「仕事中毒」の社長にパロ中毒の杏子さんを重ねてみました。三年後も全国津々浦々のモニターの前で待つたくさんのマヤたちのために、ほどほどに(ココ重要!)頑張って下さいね。 ![]() □杏子より□ なんの前触れもなく、締め切り前夜、ひっそりとポストに届いていたさんてるさんからのメール。 うわぁぁぁぁぁぁっ!!さ、さんてるさんだぁ……っ!! まさかまさかのご投稿、本当に感激いたしました。 最初の一行、一文から、その落ち着いた文体と的確な言葉選びに、安心してさんてるワールドに引き込まれてしまいました。 ラストの速水さんが、そっとマヤちゃんの髪に触れ、肩に触れ、涙の跡を発見するシーン。どんなキスシーンよりも、どんな抱擁シーンよりも、胸が熱くなりました。マスの気持ちをずっと追ってきて、マスとともに渇望する気持ちが、 このほんの一瞬肩に触れる、というだけでとても満たされた気持ちに こちらまでなるのです。 愛情がそこに溢れているのが分かるだけに、 これだけでもう満足して、そっと瞳を閉じたくなるとでもいうのでしょうか。 そういう気持ちに読者を引き込むさんてるさんに、脱帽の杏子でした。 Workaholic……。普段、周りの人間のWorkaholicぶりに、ビービー文句を垂れている杏子ですが、なんのことはない、自分こそが一番のWorkaholic、いえ、パロホリックだったと改めて思い当たりました。理由なんかない、夢中にならずにいられない、そんな3ヶ月でした。 さんてるさん、最後にそんなことに想いを廻らせるようなお話、本当にありがとうございました!! |
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