written by RIBI & illustrated by RIN






□□第2話□□





「北島さん…っ!」

冬の寒さがようやく緩み、3月にしては少し暑いとさえ感じるほど陽気な日。
都内某所にある結婚式場。式が始まる前に花嫁控え室に覗いたマヤを、草木は満面の笑みで迎えた。

「草木さん、おめでとう!」

二人して歓声をあげ、両手を握り合う。
草木は真っ白なウエディングドレスをその身に纏い、若い花嫁に相応しい初々しいメイクアップ、頭にはトレーンの長いペールもすでに付けられて、全身カンペキな花嫁姿。
数年ぶりに逢う彼女は、高校の時よりずいぶんと痩せていたが、優しく穏やかな雰囲気はそのままだった。
マヤと同じくらい小柄な草木が、レースをふんだんにつかったボリュームのあるドレスを着ていると、本当に愛らしく、まるでお人形さんの様に可愛いと思った。

「北島さん、忙しいでしょうに来てくれてありがとう」

「ううん、私こそご招待ありがとう。草木さん、すっごく綺麗…!」

再会にきゃあきゃあと盛り上がりかけたマヤ達だったが、と同時に数人の女性が立て続けに入ってきた。どうやら草木の職場の同僚達らしい。
色々と話したいのは山々だったが、邪魔になってもと思い、その上、彼女らのひとりがマヤの顔を見て「あら…」などと気にした風だったので、マ
ヤは、じゃあまた後でね、と草木に言い置いて早々に控え室を退室した。


廊下に出て、マヤは自分のドレスをピラッと摘み上げ、あーあ…とため息をひとつ吐く。
芸能人でありながら、マヤは普段ならば外でもそう気付かれる事は少ないのだが、今日は違う。
ピンクのシフォンドレスに、同色のストール。シルバーの高いピンヒールを履いて、首元や耳には細やかな細工のアクセサリー。どれも見る人が見れば、有名ブランドの高級品ばかりだと分かる。
長い髪はアップに纏め上げられ、化粧もしっかりとフルメイクだ。
磨き上げられたその美しさは、どこか一般人の装いとは一線をかくし、マヤを芸能人らしい華やかさで輝かせていた。
マヤとしては、ただの友人として招待されているのだし、もっと地味に目立たない格好で出席したかったのだが、マネージャーの林に予めクギを刺されたのだ。人の目が集まる場所では、『北島マヤ』のブランドを損ねない程度には着飾ってもらわなくては困る、と。
マヤが渋ると、結局、衣装からなにから全て林が用意したものを着ていく事になってしまった。
おかげでここへ来るまでも、遠巻きに何度か指を指されたし、実際今だって花嫁控え室から出てきたマヤを見て、廊下の向こうで数人の人が指をさしていたりする。

マヤはもう一度、今度は諦めの混じったため息を、ふ…とひとつ吐く。
そして、そんな指さしから逃れるように背をむけ、スタスタと歩き去ろうとした。そして、廊下の角を曲がろうとした、その時だ。
どこかぼんやりと歩いていたマヤは、角の向こうからやってきていた人物に気付かず、ドンッ!と思い切りよくぶつかってしまった。
その拍子に、ただでさえ慣れないヒール靴が絨毯につんのめって、カクリとバランスを崩す。
転ぶっ!、とマヤは反射的に身を固くした。しかし、

「…おっ、と!」

そんな声と共に、大きな掌がマヤの肩を掴み、寸でのところで床との衝突を回避させてくれた。
黒い礼服の逞しい男の腕が、彼女の身体をしっかりと支える。

「すっ、すいません。ありがとうございます」

こんな場所でコケそうになった自分が恥ずかしくて、少し顔を赤くしながら、その腕の持ち主を見上げてマヤは礼を言った。
だが直後、マヤは大きく目を見開く。
端正な容貌の男が、穏やかに微笑んでマヤを見詰めていた。マヤは驚き、叫んだ。

「……速水さん…っ!」
















驚愕の表情で彼を見上げたまま、マヤは微動だにせず固まってしまった。

(速水さん…、速水さん…、速水さん…だ…っ)

瞬きも忘れて、彼に見入る。
直後、ぶわっと真澄の姿が滲んだ。目の中に勝手に溢れてきたもので急速に視界が掠れ出して、そのまま目の前の彼が夢の様に儚く消えてしまいそうな恐怖を感じ、マヤが慌てて涙を拭おうとした時だ。

「…速水? 失礼ですが、どなたかとお間違えではありませんか?」

予測もしていなかった言葉。マヤは一瞬、呆気に取られた。

「え…? え、速水さん、ナニ…言ってるの?」

すると彼は困ったように苦笑して、

「申し訳ありませんが、人違いですよ。僕は『速水』ではありません」

サラリと否定されて、愕然と…する。

(……人違い? そんな…、そんな馬鹿なっ!)

だって、亜麻色のクセのある柔らかそうな髪も、切れ長で理知的な瞳も、間近で見上げてると首が痛くなるほど高い背も、そっくりそのまま真澄のものだ。
ほら、今の口の端をちょっとだけ歪める、その笑い方だって!
信じられなくて、マヤはジロジロと遠慮もなしに彼を観察する。
そうしてあちこち見回してみても、やはりマヤには、彼が真澄に見えた。

「……速水さん…でしょう?」

恐々と掠れた声で、そう問いかけたら、マヤがあまりに縋るような声を出すからだろう、彼は笑みを引っ込め、真面目な顔で数度首を横に振る。
それを見て、マヤは虚脱に、思わずフラリとその場に倒れそうになってしまった。

(そんな、人違いだなんて……)

だが、確かに違和感はあった。
姿そのものは確かに真澄そのものだが、唯一、声が…、違うのだ。
真澄の声は、アクセントのしっかりした重みのある低音で、まるでベルベッドの様な…そんな艶やかな印象の声をしている。その耳障りのよい声の響きは、マヤの耳の記憶に強く残っている。
だが、それに対して目の前の彼は、イントネーションの柔らかい、どちらかというとサラッとしたシルクのように軽やかな印象の声で、それはどう聞いても、あきらかに真澄のものとは異なっていた。
しかも目を凝らしてよくよく見れば、彼にはほんの少しだけ、目尻や口元にうっすらとした笑い皺があって、そこに真澄よりも少しばかりの加齢を感じる。
といっても、当の真澄とすでに2年以上も逢っていないのだから、今の顔と比べようもないのだが。
マヤは脱力した心地のまま、深々と頭を下げた。

「すいません… 大変失礼な事を…」

マヤが謝ると、彼は彼女が納得した事にホッと気が緩んだのか、クスリとした笑みを零す。

「いいえ、気にしないで下さい。しかし僕は、ずいぶんとそのお知り合いの方と似ているようですね」

その顔までも真澄に似ていて、マヤは羨望するような眼差しで彼の顔から目が逸らせなかった。

「…はい。はい、ホントに…、すごくソックリ…なんです」

初対面の人間に、あなたは私の知人に似ている、と言って交流を持つ。…なんだかずいぶんと昔のナンパの手段の様だ。
だが決してそんな軽率な気持ちで無いことは、マヤの真剣すぎるほど真剣な…今にもボロボロと泣き出してしまいそうなほど必死な顔が、如実に示していた。
まさしく穴があくほどに凝視されて、当の彼もさぞや戸惑った事だろう。そんなマヤに、では…といってそっけなく去ってしまうのが躊躇われたのか、

「今日、こちらには、どなたの式で?」

そんな社交辞令的な話題を振ってきた。

「え… え、は、はいっ、あの…友人の式で… えっと、草木広子さんの…」

すると彼は少し驚いた顔になった。

「あぁ、草木くんのご友人でしたか。それは奇遇ですね」

「え…っ?」

「僕も今日、彼女の式に出席するんです。僕は、草木くんや新郎の渡辺くんと、同じ会社に勤めているものですから」

今度はマヤが、驚いた顔をする番だった。












「…──あなたは、草木広子を生涯の妻とし…」

厳かな雰囲気の中、教会には神父の声が朗々と響く。
多くの人が静かに見守る中、新郎新婦は誓いの言葉を口にし、指輪を交換した後、結婚の証明だと、二人は揃って左手を胸元にあげ、立会人たちに指輪を掲げて見せる。
草木の夫となった渡辺は、がっしりした骨太の体型に頭はスッキリとした短髪の体育会系的な男で、一見強面な顔にも見えなくはないが、笑うと大らかで優しそうな風貌をしていた。
そんな彼の隣で、草木はとても幸せそうに微笑んでいる。純白のドレスに負けないほど、その笑顔は光輝いて、全身から幸福感がにじみ出ているようで、そんな姿は、今のマヤにはひどく眩しく見えた。


二人に拍手を送りながら、マヤはチロリと視線を横へと流す。

新郎側の席に座っている、頭ひとつ飛びぬけた人物。
…そう、真澄のソックリさん。
だが彼は真澄ではない。
彼の名は、『田中一郎』。
当たり前なのかもしれないが、真澄とはあまりにかけ離れた名前に、自己紹介されたときは耳を疑った。
あの顔は『速水』とか『真澄』という名が相応しいのだという認識が、すでに強固なまでにマヤの中で出来上がっているので、アレで『田中』だの『一郎』だのという名は、どう考えても似つかわしくない、などと思わずそんな失礼極まりない事まで思ってしまう。
しかし、こうして横顔を見ていても、やはり…似ている。
本当に、真澄が何かで自分を騙しているのではないか、と疑ってしまいたくなるほどだ。
そう、今にも『ちびちゃん、こんなに簡単に騙されるなんて、やっぱり君は単純だな』などと、いつもの皮肉めいた口調で言い出すんじゃないか、なんて彼を見ていると思ってしまうのだ。そして、そんな事が起こるのを、どこかで激しく期待している自分が、いる。
すると、あんまりマヤが横目でジロジロ見詰めていたからだろうか。正面をむいていた彼が、ふいっと振り返り、瞬間視線がバチリと合う。
マヤはパッと赤くなりながら、慌てて視線を逸らした。




その後披露宴も終わり、新郎新婦、その両家族が一列に並んで、出席者達を見送りに立つ。
結婚式の作法など、初めてのマヤはちっとも分かりはしないので、ここでも彼女は前の人のやり方を真似し『今日はご招待ありがとうございました』などと言いながら、頭を下げた。皆が、去りがたい様子でそのまま立ち話を始める中で、マヤは草木にもう一度心から祝福を言うと、輪を抜け出し足早にその場を後にした。
引き出物の大きな紙袋を片手に、マヤはエレベーターの前で到着を待ち佇む。
友人の幸せな姿は見れたし、式の途中にあった新郎の友人達の余興もなかなかに楽しかった。新郎新婦の生い立ちとして、途中スライドが上映された時には、草木の高校時代の思い出として、マヤも僅かだが映像に登場したりもした。
和やかないい式だったと、帰り際人々が口々に言う。
が、マヤは何やらすでに、どっと疲れていた。勿論体力的に、ではなく、精神的に。それはこの様な場が初めてだったから緊張していた、というのもあるのかもしれないが、間違いなくそれだけではない。
思わず、ふぅ…と肩を落す脱力的なため息を吐いた時だ。

「……あ」

小さなその声に顔をあげれば、マヤのこの疲労の大元の元凶が、そこに立っていた。
田中だ。
慌てて居住まいを正して会釈すると、むこうも、どうも…といった具合に会釈を返す。同じ引き出物の袋を手からぶら下げ、やはり同じくエレベーターの到着を待っていると、どうにも微妙な空気が二人の間に漂う。
マヤはすぐ間近に佇む彼の存在に、途端に胸がどきんどきんと高鳴り出すのを感じていた。
何か…言わないといけない気がした。それが何かは分からなかったけれど。マヤが意を決して声をかけようかと口を開きかけた時だ。

「…宜しかったら、お茶でもご一緒しませんか?」

先手をきって、田中がマヤを誘ってきた。驚き仰ぎ見ると、彼はニコリ微笑んでマヤを見下ろしていた。














「女優さん、なんだそうですね」

式場の1階にあるティーラウンジ。
注文したコーヒーとミルクティが運ばれてきて、しばらくたった頃、田中は何気なく言った。

「お恥ずかしい話ですが、僕はそういう方面にはとても疎くて… 披露宴会場であんまり貴女が周りから注目されている風なのが気になって、草木くんに聞いたんですよ。そうしたら、言われてしまいました。「北島マヤを知らないんですかッ!?」って」

申し訳なさそうな顔をする彼に、マヤはぶんぶんと首を振る。

「いいえ、そんな… 大体私は女優と言っても、舞台が中心ですし… 田中さんがご存じなくても、しょうがないですよ」

と勢い言ってしまってから、はっとして、

「あ…っと、私がこんな事言ったらいけませんよ…ね。芸能人として、もっと顔売るように努力しなきゃ、ですもんね」

肩を竦めて恐縮すると、田中はそんなマヤを楽しそうな様子で眺めた。
向かいのソファにゆったりと足を組んで腰掛ける、彼。
ここのラウンジはすべての椅子が一人掛けのソファで、そのとても柔らかいクッションに身体を預け深く沈みこむと、マヤの心に奇妙な浮遊感が湧きあがってくる。
だって…、今、自分の目の前に『この顔』があるという事が、マヤには夢の様な気がしてならない。
マヤが目を細めて彼の姿を眺めていると、彼は飲んでいたカップをソーサーに戻し、

「失礼。煙草を吸っても構わないでしょうか?」

頷くと、田中は懐から煙草とライターを取り出した。
その仕草。
火をつける時、僅かに伏せられる瞼。
吸い込む時、ほんの少しだけ寄る眉根。
そんな何気ない動作ひとつひとつに、気付けばマヤはぼうぜんと見惚れてしまっていた。

(……速水さん)

マヤが大きく目を見開き、瞬きも忘れて凝視していると、直後田中はくっと唇を歪める。

「……そんなに、似てますか?」

彼女にチロリと視線を流しながら、煙草を指先に挟んだまま、田中は掌で自らの顔の頬や顎を摩る。
言われてマヤは、封印が解けたようにぱっと視線を伏せた。

「…あっ、ごっ、ごめんなさい」

「構いません。ですが、よほど思い入れのある方なんですね」

『思い入れのある方』。しみじみとそうそう言われて、マヤは俯いた状態でぐっと唇を噛んだ。

「はい…。そう、なんです……」

真澄との記憶が、瞬間フラッシュバックの様にマヤの脳裏に甦る。
どれもこれも、決して忘れられない、忘れる事の出来ない記憶。
実際『思い入れがある』…どころでは到底すまない存在なのだ、真澄という人は。
すると田中は不意に、

「もしかして、以前付き合ってらっしゃった男性ですか? …っと、芸能人の方にこんな質問はマズイかな?」

それはどちらかと言えば冗談まじりな、軽い調子で彼は言ったというのに、だが言われたマヤは、一気に動転し、思い切りストレートな反応をしてしまった。

「と、と、と、とんでもないっ!」 

静かなラウンジに、突如突き抜けるマヤの大声。

「違いますっ。ぜんぜん…、全然まったく、私と彼は、そんな関係なんかじゃないんですッ」

ソファから腰まで浮かせて、田中に身を乗り出して、大否定した。
そのあまりの勢いに、田中は呆気に取られたように口を半開きにして固まっていたが、直後ぷっと噴き出すと、くっくっくと声をたてて笑い出した。
笑われて、マヤは恥ずかしさが込み上げかぁっと顔に血が集まるのを感じる。だが、そんな中でも、田中のその笑い方までも真澄に似ている事に、なんだか涙が零れそうになった。















「え、田中さん結婚してらっしゃらないんですか?」

「結婚どころか、今現在は恋人もいません。30も半ばを過ぎて、寂しいものですよ」

確かに田中の左の薬指に指輪はなく、未婚でも別になんらおかしくはないのかもしれないが、マヤはどこかで当然彼は結婚しているような気がしていた。やはり真澄の事が頭にあったからかもしれない。
ひどく意外そうなマヤの様子に、田中は、仕事に忙しくしている内に大抵愛想をつかされてしまうんですよ…などと、苦笑して付け加える。

「北島さんこそ、それだけお綺麗ならば、さぞもてますでしょうに。貴女の恋人は心配で仕方ないのではありませんか?」

「へ… お…キレイ…?」

と呟いた途端、マヤはバババッと真っ赤に顔を染めた。
なんて事を言うのだろう、と思う。
いくら社交辞令にしても、勘弁して欲しい。心臓に悪すぎる。
この顔から出る自分を評する言葉といえば、『ちびちゃん』とか『馬子にも衣装』とか『豆狸が化けた』とか、そんなからかい文句が当たり前だというのに。
突然茹で蛸状態のマヤに、田中はまたしても爆笑する。

「何でそんなに赤くなるんですか。可笑しな方だなぁ」

「キレイとか、そっ、そんなお世辞言わないで下さい! そもそも、心配してくれる恋人だっていませんし、もしいたって、私にそんな心配なんて必要ないです! 全然もてたりとか、しませんしっ」

今度は田中が意外そうな顔をした。

「お世辞だなんて、とんでもない。会場でも僕の周りの男達が、一様に貴女に見惚れてましたよ。披露宴の間にも、ずいぶん声をかけられたのではありませんか?」

それは事実だった。披露宴では、新郎新婦の次にマヤの周りには人垣が出来、寄って来る人達は、キレイだの、カワイイだのと、口々に彼女を賛じたが、だがそれもこれも、全ては自分が芸能人ゆえの事だとマヤは思っていた。
実際、彼らがマヤを見る目は、いかにも興味が先行した、どこか物珍しいものを見る様な、好奇心に満ちたものばかりだったから。

「それは、今日は…その、イロイロ塗りたくったり、あちこち飾り立ててるから、そう見えちゃうだけなんです。目の錯覚です! ホントの私は、いっつもスッピンで格好も地味で、街歩いてても誰も気付かないくらいなんですから」

「そうなんですか?」

「えぇ、そーです。舞台メイク落すと別人だとか、芸能人のオーラがないとか、もぅしょっちゅう言われてますもん。面白い事とか、気の効いた事とかも、全然言えないし…」

「僕には充分すぎるほど面白いですけどね。人と話して、こんなに笑ったのなんて久しぶりです」

優しげな瞳でそう言われて、マヤはまたしてもかぁっと赤くなる。
田中はクスクスと遠慮もなしに笑い続けていた。
だが確かに、最初緊張していた事など忘れたかのように、和んだ空気が二人の間にあった。会社員である田中と、芸能人であるマヤとでは、環境があまりに違い過ぎる為、互いの話が物珍しく、マヤもいつしか夢中で話し込み、初対面とはとても思えないほどにぽんぽんと会話が弾んだ。
心にじわじわとした、くすぐったさがよぎる。
そう…、マヤも、この時間がとても楽しかったのだ。
ここ数年、誰と会っても、誰と時間を共にしても、これほどまでに楽しいと感じた事がなかったと思えるほどに。
だから、田中から「もうこんな時間ですね。そろそろ…」と切り出された時は、え…と思った。



ラウンジから出て、玄関まで二人無言で歩く。マヤの分の引き出物も一緒に運んでくれる田中の後ろで、とぼとぼと足を進めながら、マヤは自分の中に奇妙なまでの寂しさが、沸々と湧きあがるのを感じていた。
玄関前に待機していたタクシーに乗り込み、田中から引き出物を渡される。
これで後は、挨拶をし別れるばかり。『今日はありがとうございました。じゃあ…』そんな言葉を口にして別れれば、もう二度と会う事もないだろう。

「北島さん…」

顔を上げると、タクシーのドアに片手を乗せ、田中が腰をかがめて中を覗き込んでいた。
斜めにじっと見下ろされて、マヤの心臓がドキンと跳ねる。彼は、僅かに言い淀んだ後、意を決したように言った。

「また…、お会いできませんか?」

真剣な瞳が、マヤの目を真っ直ぐ見詰めていた。













「じゃあマヤさん。お疲れ様でした」

マネージャーの林に見送られて、マヤを乗せたタクシーが走り出す。するとしばらくして、不意に鞄の中の携帯が鳴り出し、メールの受信を報せる。
文面を確認して、直後マヤは、間髪いれずに運転手に言った。

「すいません。行き先変更してください」

向かっていたマヤのマンションとはほぼ逆方向。来た道を後戻り、着いた先は繁華街から少しだけ外れた、魚料理中心の小料理屋。
店の中は全部小さなお座敷で区切られていて、他の客と顔を合わせずゆっくりと過ごせるようになっている。名を言って案内された先の障子を開けると、すでに腰掛けてお茶を飲んでいた先客が、マヤの顔を見てニコリと笑った。

「こんばんは、北島さん」

その笑みに、マヤもつられてニコッと笑う。

「お待たせしちゃってごめんなさい、田中さん」

「急に誘ったりして、迷惑ではなかったですか?」

「いいえ。今夜の公演が終わって、ちょうどこれから帰るところだったんです。タクシーの中で、晩御飯どうしようかなぁって思ってたから」

「それは良かった。ここの料理はどれも美味しいですよ」

田中に促され、マヤは彼の正面の席に腰をおろした。




田中と会うのは、これで3度目だ。
会う…といっても、お互いの仕事の都合のつく時に、こうして御飯を共にする程度だったが。
する会話は、いつもたわいの無い話ばかり。
主にマヤがその日仕事で起こったハプニングや、ちょっとした失敗談、またそれで周りの者にこんな注意をされた、などなど。出てきた料理をぱくぱくと食べながらマヤは夢中でそんな事をしゃべり続け、田中はグラスやおちょこを傾けながら面白そうに相槌を打つ。
田中は、やはり最初の印象は間違っておらず、真澄より3つほど年が上だった。
会社では課長という立場で、草木とは部署が違うが、彼女の夫となった渡辺は、田中の直属の部下になるのだそうだ。
渡辺とは、仕事の後一緒に飲みに行ったりする事もあるとかで、結婚前、どうやって草木にプロポーズしようか相談までされた、とか。
今も新婚の彼から、よくのろけ話を聞かされたりするとかで、ほとほと困っている、とか。
草木くんには内緒ですよ、とそんな話まで色々教えてもらったりもした。


田中と話していると、楽しくて、時間が飛ぶようにして過ぎていく。
彼と会っている間、マヤはとてもよく笑ったし、そして田中も、思った以上に、とてもよく笑った。笑い声をあげ、楽しそうに。
そうして彼が声をたてて笑うたびに、マヤはチクリと痛む自分の胸を、隠すようにそっと押えていた。




居酒屋を出ると、田中が、少し歩きましょうかと誘ってきた。
マヤも彼のオススメの焼酎を、薄い水割りであったが2杯ほど飲んでいた事もあり、酔い覚ましも兼ねて素直に同意する。

「あーー、お腹イッパイ!」

季節は春だがまだ少し肌寒い夜道を、マヤは元気に伸びをしながら歩く。

「本当に北島さんはよく食べますねぇ。その細い体のどこに入っていってるんですか」

マヤの数歩後ろを、ゆっくりとした歩調でついて歩いていた田中は、しみじみとした風に言った。
出されたものは全てたいらげる主義だと豪語して、マヤは何処へ言っても旺盛な食欲を見せる。初めて一緒に食事に行った時、その気持ちの良い食べっぷりに、しきりに感心していた田中だったが、3回目になるともう慣れたもので、今夜など食後のデザートを張り切って追加注文するマヤに『おや、ひとつでいいんですか?』などとからかってきたりした。

「役者は体力勝負なんですよーだ。大体、田中さんの方が食べなさ過ぎっ! そんなに大きい体してるくせして〜」

「僕の様に一日デスクに張り付いてる仕事だと、そうそう食べる必要がありませんからね。これで北島さん並みに食べていたら、僕の年じゃぶくぶくに肥えてしまう」

肩を竦めて嘆いてみせる田中に、マヤは、あはははっと声をたてて笑う。

「や〜だ、それってオジさん発言ですよ!」

すると田中は、とりすました顔で、

「ま、要は燃費がいいって事です。車に例えれば僕が最新の国産車だとして、北島さんは…年代もののアメリカ車の様なもの、という感じですかねぇ」

そんな風に例を上げられて、それまで笑っていたマヤは、途端に唇を尖らせる。

「ちょぉっと、田中さんっ。その例えって…」

足を止め、くるりと後ろを振り返った。その途端、

「…あぶないっ!」

いつの間にかマヤの背後に迫っていた自転車と、思い切り正面衝突しそうになって、ギリギリのところで田中がマヤの腕をひっぱり、難を逃れる。
びっくりして硬直してしまっていたマヤが我に返ったのは、自分の頭の上で田中がほっと、安堵のため息を漏らした時だった。気付けば、彼の腕の中で抱き締められていたのだ。大きな掌が、マヤの肩や腰に回されている。

「どうしてそう…危なっかしいんですか、貴女は…」

「ご、ご、ごっ ごめんなさいっ!!」

焦って身を起こそうとしたマヤを、瞬間強い力が遮る。田中が、腕にぎゅっと力を込めてきたからだ。

「あ…、あのぅ……、田中さん?」

戸惑うように呟く。
すると、しばらく経ってから徐々に腕の力が緩められ、身体を解放される。
ほっとしたマヤだったが、しかし田中はそのままの状態で身をかがめると、彼女の耳元に唇をよせ、小さく囁いた。

「北島さん、僕と…正式に付き合っていただけませんか?」

マヤの心臓が、ドキン…と、大きく跳ねる。
驚き顔を上げると、すぐ至近距離に彼の顔があった。
あまりの近さに思わずびくっとしたマヤに、田中は身を起こして距離を取る。そして姿勢を正すと、マヤをじっと見詰め、淀みの無いハッキリとした口調で言った。

「貴女が好きです」

田中は、怖いくらい真剣な顔をしていた。

そう…それは、彼女が恋焦がれてやまない…
あの人と、そっくり同じ顔で───…







04.14.2006





…to be continued









next / index / present top / event top / home