written by くぅ





朝起きて、稽古に行く準備をする。
最近は少しましに作れるようになった朝ごはんを食べ、顔を洗い、歯を磨く。
そして着替えるとき、必ず目にするカレンダー。
思わずにっこりしてしまう。

今日の日付のところに小さく赤いまる。
そう。
久しぶりに、速水に会える日だ。
この前にあった日は丁度3週間前。先月の終わりにも、小さく赤いまる。
お互い忙しい身で、一日中会えるということはないけれど、それでも
稽古が終わった後に、一緒に食事に行く約束をしている。

この前も一緒に食事をして、帰り道に送ってもらった。
近くの公園を二人で散歩したとき、桜のつぼみがほころびそうになったのを覚えている。


「もうじき、咲きそうですね」
マヤが右隣を見上げると、そこには柔らかく笑う速水がいる。
「そうだな。でも、ちびちゃんには花よりだんごじゃないのか?」
「もう!ひどいです!!そんなに食い意地ははってないですよ!!」
「どうかな」
マヤの膨れた顔をみて、とうとう速水は笑い出した。
「私は怒っているんですからね!! 」
ぷいと顔を背け、隣から一歩前に出ようとした。
けれど、それは許されなかった。
「・・・マヤ、一緒に見に来よう」
右手を、左手に捕らえられる。
心地よい温度。そして、ささやくように言われる、心地よい声。
「・・・」
ゆっくり、速水を振り返った。
暖かい笑顔がそこにあった。そして、その笑顔は無意識のうちに、マヤをうなずかせていた。



「本当に久しぶり」
マヤは、嬉しさを隠しきれない様子で、声を弾ませる。
「・・・っと、いけない!遅れちゃう!!」
あわてて時計を見直し、もう一度鏡をみて、玄関を飛び出した。



もうじき新しいお芝居が始まることになっている。
紅天女にマヤが選ばれ、仕事の量も半端ではない。
今度やる仕事は、連続ドラマの主演だ。
仕事にしか興味がない女性・彩子が恋をし、次第に変わっていくという、ありふれたドラマだけれど、
マヤは自分に共感する部分があった。
だから、今は彩子になるために、毎日磨いて自分を磨いてる。
でも、そんな彩子が近くにいるからこそ、思い出さずにはいられない人。

そう。
恋人と呼ぶにはまだ、照れくさい存在の人。
そして、忙しくて会えなくて、恋人と呼べるのか不安な存在の人。
でも、ようやく会うことのできる、そんな大切な存在の人。



「・・・ちょっと早く着いちゃったかな」
待ち合わせは6時半。
けれど、マヤの時計は6時少し前をさしている。
さすがに、速水の姿はまだなかった。
「・・・あと30分か」
甘いため息と共に、小さくささやくように言う。
そして、おもむろに、かばんの中から鏡を取り出した。

昔は化粧のけの字も知らなかったけれど、少しでも速水に釣り合いたい。
大人の女になりたい。
そんな気持ちが芽生えて、二人で会うときは、いつもよりちょっぴりおしゃれをしてみる。
そんなマヤを速水は気づいているのか、それともいないのか。
・・・いなかったらショックだけど、でも、気づいてくれているといいな・・・。
なんて、心の奥で思ってみる。

「あ・・・」
鏡をみて、はっとマヤは気づいた。
「・・・口紅・・・」
そう。
稽古の後、あまりにも慌てていたのか、口紅を塗るのを忘れていた。
唇は女性のたしなみよ!と、スタイリストさんにいわれて、それ以来塗るように
心がけてはいたが。
よりによって、今日と言う日に・・・。

慌てて腕時計を見ると、先ほどと時間はあまり変わっていない。
今なら間に合うはず。
そうマヤは決心をすると、目の前にあるデパートに吸い込まれるように入っていった。



化粧品売り場に飛び込んだが、いつも使っている商品が見当たらない。
最初の1本はどんな口紅がいいか、スタイリストさんに相談したとき、
色々試して、やっとのことで決めた色がある。
それが気に入っており、以来そのメーカーの口紅を使っているのだが。

どうしよう。
この際他のでもいいかもしれないけど・・・。
でも、正直ひとりじゃわからないし・・・。
うろうろと化粧品売り場を歩いていたその時だった。
「・・・あっ・・・」
ふと漏らした声が、化粧品売り場に消えていく。
視線の先には、大きなポスター。
ええと、確か・・・そうだ。確か同じ大都芸能の女優さんだ。

ぼんやりそのポスターを見た。
「桜色の唇」と大きく書かれており、その下には女優がふんわりと微笑んでいた。

―――くちびるに春の予感―――

なんてキャッチフレーズが、小さくポスターに記されている。
「春の予感か・・・」
小さく、マヤはため息と共に言葉を出した。その声に重なるかのように、店員の声。

「いらっしゃいませ!こちらは新作となっていまして、今売れ行きが一番なんですよ!
お客様でしたら・・・この色なんかお似合いかと思いますよ。試してみます?」
といって、半ば強引に口紅を塗られる。
「いかかですか?お客様にとてもお似合いだと思いますよ」

・・・・・・。
鏡に映ったマヤは、確かに似合っていた。
むしろ、いつも使っているものよりも似合っているんじゃないか。
なんて、そんなことまで思ってしまう。
これなら、きっと、速水さんだって・・・。



「これを・・・」
「これをくれないか?」

自分の声に合わさった、バリトンの声。
えっ・・・と、心の中で。そして、慌てて振り返る。
するとそこには。
「・・・お買い物かな?ちびちゃん」
「は・・・速水さん!!」
慌てて、椅子から飛び降りる。
時計を見ても、待ち合わせの6時半にはなっていない。
そもそも、なぜここに自分がいるを知っているのだろう。

「ど・・・どうして?」
「今日は仕事が速く終わってね、早く待ち合わせ場所に着いたんだ。
そしたら、デパートに入っていくマヤを見かけたんだ」
「・・・それで・・・」
「まぁ、地下の試食をするのじゃないかと思っていたが、なんだってこんなところにいるんだ?」
「それはっ・・・!!」


と、のどまで声がでかかる。
けれど、その後の言葉がうまくつかえて出てこない。
―――速水さんに、釣り合いたくて―――

そんな本音がつい出そうになる。
けれど、それは言葉にはならなかった。
――なんだって、こんなところにいるんだ?――

そうだ。
そういわれるということは。
おしゃれしている自分に気がついていないのだということ。
そんな自分に興味がないということ。

先ほどまでの、わくわくした、嬉しい気持ちが一気にしぼんでいく。
二人で会うときは、いつもよりちょっぴりおしゃれをしてみる。
そんなマヤを速水は気づいているのか、それともいないのか。
・・・答えは簡単だった。
気づいていなかったのだ。

「ほら、行くぞ」
口紅を受け取り、出口へと向かう。
けれど、足取りは入ってきたときとはうって違い、重く鉛のようだった。



その後は、速水の車でレストランへと向かう。
洋風の館をそのまま改造したイタリアンレストラン。
前菜から、デザートまでとてもおいしいものだったが、一向に気分は晴れなかった。
おしゃれした自分が馬鹿みたい・・・。
一人で浮かれて、一人で口紅選んで・・・。
思わず泣きそうになるが、ぐっとこらえる。
目の前のこの人に、気づかれないように、いつものように振舞って。

「どうした、マヤ?」
「えっ・・・?」
デザートの後に、コーヒーを一口飲んだとき、速見の口調が変わる。
「別に、どうもしてませんよ?」
「だが・・・」
「ちょっとすみません」
速水の言葉をさえぎり、マヤは席を立った。

「・・・ふぅ」
パウダールームでマヤはため息をつく。
「やっぱり、どうでもよかったんだ・・・」
鏡に映った自分がとてもなさけなく思えてくる。
本当に涙が出てきそうで、慌ててマヤはこらえる。
「くちびるに春の予感か・・・」
一緒に持ってきた小さなかばん。中には先ほど、速水に買ってもらった口紅が入っている。

ゆっくりとふたを開けると、おろしたての口紅が顔を出した。
「今更使うのはばかみたいだけれど、でも、たしなみだからね」
念を押すかのように、鏡の中の自分に語りかけると、ゆっくりと唇へと色をうつした。
「もうすこし。頑張れ私」
小さく自分を励ますと、マヤは速水のいるテーブルへと足を戻した。




帰りの車の中は驚くほどしずかだった。
普段ならば、マヤが今日の稽古はどうだったか、稽古場の人と、こんなことがあった
などとはなすし、隣りで速水が相づちをいれたり、笑ったりするのだが、
今日はそんな気分になることができない。
速水も、居心地の悪さを感じているのだろう。
何もいっては来なかった。
はやく家へ帰りたかった。
すごく惨めな自分と、早く別れたかった。



「着いたぞ」
「・・・はい・・・。どうも、ありがとうございました」
じっと見つめた自分の足元は、やっぱり今日の日に買ってみたペディキュアが光っている。

「あの・・・速水さん」
「どうした?」
「あ、あの、…。さっきの口紅のお金、返します。いくらですか?」
心の中が悲しくて、寂しくて、とっさに言った一言だった。

「ああ、あれか…。気にしなくていい。」
「でも、悪いです…。」
「何がだ?いちいち気にすることなんてないだろ?」
「でも・・・」
速水の顔をようやく見上げた。
なんだか、泣きそうな自分が、速水の瞳の中に映っている。
そんな瞳が、悪戯っぽく笑うのを、マヤは、感じた。


「どうしてもって言うのなら、現物で返してもらおうか」
現物?
それって…?
口紅返せってことだよね?
慌てて、かばんに手をやろうとした。

が。
刹那。
一瞬にして抱き寄せられ、くちびるを盗まれる。
気がついたときには、速水の顔が目の前にあった。

「は・・・速水さん・・・」
ようやく開放された後、声に出したその名前。
「似合っている・・・その口紅」
そのバリトンの声に、思わず酔いそうになる。
「・・・うそ」
「うそなんて、言うはずがない」
「だって、こんなに頑張ってみてるけど、全然釣り合わないし、速水さんは、気づいてないし、
それに、それに・・・」

続きは言えなかった。
繰り返し奪われる唇…。
繰り返し与えられる口づけ…。
体温とともに、煙草とコロンの香りが鼻をくすぐった。

「気づいてるさ・・・。でも、俺だけの前でいい。そんな姿は、俺だけの前でいい」
「速水さん・・・」
「桜と共に、唇にだって・・・春の予感を感じるだろう?」

あの口紅のキャッチコピー。
そういった速水の顔も、桜が咲くかのように、マヤは春を感じた。





06.24.2006



<Fin>




□くぅさまより□
無理やり間に合わせてみましたが、間に合いましたか!!?
どうしても杏子さんの作品がほしくて、踏ん切りがつかず、でも、あきらめきれませんでした。
仕事をしているので、土、日で書き上げました。
季節も春と言うことで、無理やり唇と口紅そして、春をかけてみました。
どうでしょうか・・・。
宜しくお願いいたします。



□杏子より□

↑のくぅさんのあとがきを読んでピンときた方、そうです、これは祭り最終日に頂いた、ご投稿作だったのでした。
祭の最終日といえば、当日の朝にフユニワを脱腸し、作らなければいけないファイルを一つも作っていない、という史上最強の修羅場。掲載は間に合わず、終了後の杏子といえば、そのまま屍と化し、掲載がこんなにも遅れてしまいました。
くぅさま、本当に申し訳ございません!!
くぅさんの、初パロでございます。オンナの子度満開全開のカワイイお話ですね〜♪〆はキザマスがかっさらってくれ、大満足。
くぅさん、ありがとうございました!!






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