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written by shima |
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□□前編□□ シガレットケースから煙草を取り出し、口の端にくわえ、いつものように火をつけようとすると、ライターは手のなかでカチッカチッと空しい音をたてた。 オイル切れかと気がつくと、舌打ちをしたい気分になる。 オイルの切れたライターと自分。 空しい中身を抱えたもの同士か。 俺は一体何をしているんだ…。 速水真澄は頭をかかえ、ため息をつく。 用を足さない煙草を灰皿に強く押し付けると、この原因を引き起こしたできごとが思い出された。 ![]() マヤが映画の撮影のためにヨーロッパへ旅立ってから3週間。 マヤと真澄が互いの気持ちを伝え合ってから、まだ半年のことだったので、マヤは気が進まないようだったが、アカデミー賞監督である巨匠からぜひにと請われては、断るわけにはいかなかった。 アメリカ人の監督だが、つねにヨーロッパを舞台にして秀作を生み出し続ける彼の作品は世界中で人気がある。 マヤは主演ではないが、主人公にとってのファム・ファタールとなる重要な役で、国際女優として羽ばたく大きなチャンスだ。 真澄は離れるのが寂しいと言うマヤを笑って取り合わず、逆に出演を強く勧めた。 女優としてのマヤを第一に考える姿勢は、紫の薔薇のひととして陰から支えていたあの頃と何も変わってはいない。 撮影期間は3ヶ月だが、予定が大幅に狂うことでも有名な監督のことだから、実際のところ、いつ日本に戻ってこられるかは分からない。 ひと月後に真澄も大都の仕事で渡欧する予定になっており(無理矢理スケジュールを組んだのだが)、ついでに撮影現場を視察する日程にはなっているが、それも現実にはどうなることか分からない。 予定は未定だ。 二人はできるだけ毎日電話をかけあう約束をしていたが、不規則な撮影スケジュールのマヤと、多忙な真澄とでは、時間を合わせることは難しい。 マヤが演技に没頭できるように、真澄も気をつかって、なるべく自分からは電話をかけないようにしていたので、前回話をしてから5日も経ってしまっていた。 真澄は決裁した書類をデスクに放り投げると、水城の持ってきたコーヒーを一口飲み、いつも以上にフル回転させていた頭脳を休ませる。 「今日目を通しておくべき書類はこれで終わりか?」 「はい、真澄さまがあまりハイペースで仕事をされるので、今日はもうこれで終わりなんですの」 時計を見るとまだ6時前だった。 「今夜は会食の予定もなかったな。そうだ、まだ見ていない新作があっただろう。持ってきてくれ」 「真澄さま、毎日その調子では体が持ちませんわ。今日は早く帰られた方がよろしいのでは?」 「いや。大丈夫だ。コーヒーを飲んだらそこで見るから。準備してくれたまえ」 社長室の奥にあるAVルームを指差し、水城に背を向ける。 自分の上司が仕事に没頭したい理由も、何を言っても聞く耳を持たないことも承知している水城が、もの言いたそうな顔のまま社長室のドアを閉めたのを確認すると、真澄は椅子の上で大きく伸びをし、ゆっくりと目を閉じた。 瞼の裏に浮かぶのはマヤの姿だ。 もう5日も連絡がない。 また無茶をしているんじゃないだろうか、食事はちゃんと取っているのかと不安になるが、その点は優秀なマネージャーがついているから大丈夫だろう。 …きみは演劇に夢中で俺のことなど忘れてしまっているんだろうな。 マヤは大空を自由に羽ばたく鳥のようだと真澄は思う。 家の中で鳥籠に閉じ込めておくことはできない。 自分はせめてマヤが雨露をしのげる木のような存在になろうと思っていた。 だが…。 実のところ、真澄にとっても、この離れている期間は辛く空しいものだった。 マヤと心が通じ合ってからは、どんなに夜遅くても、どんなに短い時間でも、二人で会う時間をつくるようにしていた。 そんな心休まる時間の過ごし方を知ってしまってからは、もう元の孤独な生活に戻ることはできない。 実際、真澄はマヤのいない一人の夜をやりすごすために必要以上のハードワークに身を投じていたのだ。 普段はうんざりさせられるだけの夕食会でさえも、今では気を紛らわせるためにもってこいだと、積極的にスケジュールに組み込んでいた。 映画を観てしまうと、さすがにすることがなくなってしまい、困った真澄は、誰かを誘って食事に行くことを思いつく。 デスクのインターホンで水城を呼び出し、食事に誘うと、今日はまだ仕事が残っているという。 それでは仕方がないと、コートを手に取ったところで、それほど急ぎの仕事はなかったはずだと思い当たった。 不審に思って、もう一度インターホンを押し、秘書課の別の社員を呼び出した。直接尋ねても、水城は絶対に口を割らないだろう。 まだ配属されたばかりの彼は、はじめは知らないと言っていたが、真澄の巧みな誘導尋問にはかなわず、遂に、水城がマヤの件で資料を探したり、電話をかけたりしているということを漏らした。 「どういうことだ?」 真澄は詳細の分らないことに苛立ち、つい声も大きくなる。 マヤと真澄の関係を知っているのは、まだほんのひと握りの人間だけで、もちろん配属されたばかりの彼が知る由もない。 たかが女優一人のスキャンダルに烈火の如く怒り狂う社長を怪しむ余裕もなく、ただ怯えるだけの秘書が、マヤが現地の俳優と親密になっていることを週刊誌にすっぱ抜かれそうになって、その対応に追われているということを白状するまでに時間はかからなかった。 真澄は血が逆流するのを感じた。 ![]() 水城がなだめるのも聞かず、着の身着のままで飛び出して空港へ向かい、気が付くと、自分でも信じられないことに、マヤやスタッフが宿泊しているホテルの前にたどり着いていた。 予定表によると、マヤが戻ってくるまでまだ時間があるようなので、ホテルのラウンジで待つことにする。 簡素だが落ち着いた雰囲気のこのホテルは、マヤが少しでも快適に過ごせるようにと、真澄が口添えして選ばせた場所だった。 こんな気持ちでここに来ることになるとは思ってもみなかった。 マヤに会う前に気持ちを落ち着けようと煙草を手にするが、その行為は苛立ちの元を増やしただけだった。 俺は一体何をしているんだ…。 マヤと噂になっている謎の男。 水城から奪い取ってきた資料を捲る。ここに来るまでに繰り返し読んだそれはボロボロになっていた。 しかしそこには何の手がかりもなかった。 その男は端役のため、殆ど情報がなく、水城も正体を掴みかねているようだった。 書類をテーブルに叩き付け、やり切れない思いに、ため息をつきながら辺りを見回す。 すると、少し離れた席にいた女性が、煙草に火をつけられないでいる真澄を見ていたのか、マッチを振って合図してきた。彼女は煙草を切らしているらしく、身振りで交換しようと言っているようだ。 こちらが笑顔を見せると、何かの歌を口ずさみ、踊るような足取りで近づいてきた。席を立つと意外に小柄で、年齢もマヤと同じくらいに思えた。 ついついマヤの面影を追い求めている自分に気づく。 しかし、煙草を美味しそうに吸うその姿はマヤとは似ても似つかない。 彼女が歌うのは、どこかで聞いたことのある60年代ポップスだった。 なんという名の曲だったか…。 しばらく考え込んでいたが、英語と日本語を話す集団がロビーにやってきたことで思考は中断された。 時計を見ると、まだ予定の時間には早いようだが、撮影クルーがホテルに戻ってきたようだ。 彼らは部屋には戻らず、真澄のいるラウンジにどやどやと入ってきた。 大都芸能の社長の顔を知っているスタッフもいるだろう。真澄は彼らに背を向けつつ、話に聞き耳をたてることにした。 「監督も突然予定を変えるんだもんなぁ。また撮影がのびたよ」 「仕方ないだろ。脚本が変わって、あの二人のラブロマンスになりそうなんだから」 「すごいよなぁ。あいつ。はじめは主人公の友人役だったのが、ヒロインと恋に落ちるのは、こっちの方だって監督に言わせるんだもの」 あいつ? 真澄の眉がぴくんと跳ねた。 「ああ、大抜擢だよな。確かにマヤちゃんとは相性もいいみたいだし、演技力だって互角なんじゃないか?」 「ずっと二人くっついてるもんなぁ…マヤちゃん最近きれいになったし、もうかなりいい雰囲気だよな?」 確かに近頃のマヤは内からにじみだしてくる美しさのようなものが感じられ、輝いていた。 それが他の男を魅するようになっていることに真澄は気づいていたが、マヤをそうしたのは自分だという自負もあり、真澄だけを見つめ続けるマヤに安心してもいた。 「今ごろ二人きりで役作りか。どこに行っているんだっけ?」 二人きり? 「どういうことなんだ一体!」 今度はスタッフが青ざめる番だった。 無精ひげを生やし目の下に隈を作った鬼の大都芸能社長が、すごい形相で詰め寄ってきたのだから。 真澄を知らない外国人のスタッフも、日本人スタッフの尋常ではないうろたえぶりに、これはただ事ではないと息を呑んだ。 二人が役作りをしているという場所を無理矢理聞き出すと、真澄は怪訝そうな彼らの目も気にせず、血相をかかえて現場に向かった。 04.06.2006 ![]() |
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